ある日、ヴァカンスからの避難
フランス人のヴァカンス先として人気のあるプロヴァンス地方。長閑で風情のある美しい景観を求めて点在する可愛らしい村々を巡ったり、山・川・海と三拍子揃った自然の中でのアクティビティを満喫したりと、毎年国内から大勢が押し寄せる。そこに海外組が加わるので、この地方の中では大きな都市にあたる私が滞在していた街などは、フランスの都市人口ランキング入りした街であるかのように賑やかになる。大袈裟だと思われるかも知れないが、これは決して盛った話ではなく、目抜き通りの歩道をすんなり歩けなくて、車道を小走りしちゃう程度にごった返していた。
そんな状況だからか、私のインターン高校の友人たちは、ヴァカンスを別の土地で過ごすことが多かった。私のチューターであり、作家でもあるマリーは、
「定年後は自然豊かな土地で、のんびり本を読んで過ごしたいわ。もし金銭に困ったら、塩田やブドウ畑で収穫の手伝いでもして。ああいうところはまかない付きだし、作業中は集中して取り組むから無駄な会話をしなくて済むし」
とか結構真面目な顔をして言っていて、ヴァカンスシーズンが近付き、日に日に人口密度が高まってくると、難しい顔をしていつもより足早に街中から退散していたものだ。
ラシェルはご実家がブルターニュ地方で、毎年ご家族で帰省していた。ブルターニュ地方はヴァカンス先の人気ランキングでいつも上位に入っている場所だから、プロヴァンス以上に人の多さを感じるんじゃないだろうかと思うのだけれど、生まれ育った土地だとそんなことにも慣れっこになっていて、あまり気にならないのかも知れない。
マルティヌは自宅から車で数時間の場所に別荘を持っていて、ヴァカンス中はちょくちょくそちらで過ごしていた。一度その別荘に招待されたとき、彼女から
「何もないところだから、本とか持ってきて」
と言われていたものの、荷物になるから、と何も持参しなかった。日本の高原避暑地のような場所を想像していた私は、暇だったら近辺を散策すればいいかな、と思ったのだ。だが、道すがら、多くの樹々や山肌がカラっとした枯野色に変わり、車窓からの景色が広角になってきた頃、私は自分の想像が間違っていたようだと気付いた。もし、マルティヌの別荘がこのような環境にあるのだとしたら、ふらっとお散歩に出掛けられるような感じではなさそうだった。
それが確信に変わったのは、マルティヌから
「近所には買い物できるような施設がないから、必要なものはこちらで揃えておいて」
と立ち寄った途中の村で促されたときだ。その村はこぢんまりとしていて、日用品を扱うお店やパン屋さん、小さな礼拝堂、そして外装の色や柄が華やかでひときわ目立つ陶器店があった。
「ここから別荘までどのくらい?」
「そうね、あと1時間くらいかしら」
これは、足りないものがあったから、と気軽に出向ける距離ではない。それに、こうやって離れた場所からも買い出しに来るような人たちが詰め掛けたら、すぐに物品がなくなってしまうのではないか?
お店も人々もやり繰りできているのかしら、と私は要らぬ心配をしたが、ガツガツしているようなお客はおらず、店員さんも笑顔を絶やしていなかったので、うまく回っているのだろう。
私には特に買うものがなかったので、パンを買うというマルティヌに付き合いつつ、村の様子を写真に収めた。
別荘にお邪魔したのは4月頃だったが、山間部だけに気温は冬並みで、マルティヌは暖炉に薪をくべた。その暖炉は近代的でスタイリッシュな造りになっていた。近くの村まで車で1時間掛かるという別荘での生活から導かれる暖炉のイメージではなかったため、私の想像はまた一つ覆された。
到着後の昼食時にマルティヌから聞いた話では、先ほどの村より少しだけ近いところにも、物資を調達できる場所があるようだった。でもそこは、マルティヌのご自宅から別荘までの道のりとは逆方向にあるうえ、必要最低限のものしか買えないらしい。何より、
「美味しいパンを食べたいと思ったら、さっきの村まで行くしかないのよ」
とのことだった。さすが、美食の国!フランスの各家庭ではお気に入りのブーランジェリーがあり、多少自宅から遠かろうと、日々のパンはそのお店で買い求めるようだ。今までホームステイしたご家庭においても、毎日食卓に並んでいたバゲットはブーランジェリーのもので、スーパーの袋詰めのパンなどが提供されたことはただの一度もなかった。
滞在中、マルティヌは私をハイキングやロッククライミングに誘ってくれた(ロッククライミングでの話は、エッセイ本『ある日、フランスでクワドヌフ?』の‟空中椅子とフリーフォール”の章で書いています)。彼女はアクティブに過ごす人で、日中私を外に連れ出してくれるだけでなく、朝と晩は日課のランニングを実施していた。
「私がいない間、外出してくれていいのよ。留守中に誰かが忍び込むこともないだろうし、盗られるものもないから、鍵を掛けなくても大丈夫」
マルティヌはランニングに出発する前、そう声を掛けてくれていたので、私はお言葉に甘え、近隣の自然を撮影しに出掛けたことがあった。とはいえ、普段の生活で身体に染み付いた防犯に対する危機意識がちらちらと頭をかすめていたので、ものの数分で引き返してきた。別荘近辺でもハイキング先でも、ほとんど人と出くわすことがなかったので、確かに、安全な環境なのかも知れなかった。敢えてネガティブなことを言ってしまうと、この環境に慣れてしまったら、防犯に対して鈍感になってしまいそうだった。マリーに言わせれば、不便なことがあっても、喧騒から逃れて静寂を享受できるなんてサイコーじゃない!ってところかも知れないけれど。
※上の写真左は私、右はマルティヌがクライミングしたときのもの。マルティヌが登ったあと、私が登った。エッセイ本でも書いているけれど、マルティヌは反り返ったところ(黄色矢印部分)にまで行こうとしていたので、頼み込んでやめてもらった。あとで登る私がカラビナを回収しなくちゃいけないのに、できなくなっちゃう(反り返った岩になんて私は登れません)!!!
※下の写真は、ハイキング風景。軽い山登り、って感じだった。
欧米はクリスマス直前、日本はあと1週間もすればお正月に突入で、世界中がヴァカンスシーズンを迎える。帰省する人が増えるので、大晦日から三が日は都心も比較的静かだけれど、それでも参拝やら初売りやらで人が集中する場所もある。ヴァカンスシーズンに人混みに紛れていると、フランス人が避難するのも分かるなぁ、マルティヌの別荘環境が懐かしい!という気持ちになったりするのである。