ある日、ムッシューGのダメ出し

私は憤慨していた。校長のムッシュー・Gからの思わぬダメ出し。この気持ち、どうすればいいの~!

私が校長から理不尽な要求を突きつけられる数週間ほど前。モロッコ行き修学旅行の話が降ってわいてきた。プレコス(飛び級してきた生徒)のクラスに、マリー・ラシェル・ジャッキーが引率することになっていて、私もその一行に加えてもらえることになったというのだ。
「あなたもプレコスのクラスを一部受け持っているんだから。一緒に行くのよ」
マリーの言葉に、私は有頂天になった。アフリカ大陸にはまだ足を踏み入れたことがない。その中でも、モロッコには一度行ってみたいと思っていた。
「でも、出発まであと1か月くらいでしょ?急に私が行くことになって大丈夫なの?」
「問題ないわ。チケットはこれから取るし、学校行事だから割引きされるの。現地での寝泊りはテントみたいなところだから、費用は国内旅行とそう変わらないと思うわ」
旅費が多少高くつくことになったとしても、私は断る気などさらさらなかった。いつも海外旅行は一人だけど、モロッコを単身で回るのはちょっと心配だなぁと思っていたから、千載一遇のチャンスだ。まあ、あくまで学校行事・生徒の引率だから浮かれてはまずいだろうと、高揚感を極力表に出さないようにしていた。修学旅行だから、学習目的とか現地での対応について、教員と生徒があれやこれやと事前に準備するものだと思っていた。しかし、直前になっても引率教員は涼し気な顔をしている。どうやら、生徒が学ぶ機会なのだから、何をしたいかは彼らの自主性に任せているということらしい。事前に調べるもよし、ぶっつけ本番もよし。とはいえ、現地の基本情報くらいは通知されているようだった。また、全員の目的がバラバラだと教員の目が行き届かないため、似通った目的を持つ生徒をグループにし、必ず教員と行動するようになっていた。
「シホが来てくれるなら、グループを一つ任せられるわね!」
ラッキー!とばかりにジャッキーが嬉々と私の肩を叩いたが、私は一気に緊張してきた。
(任されるとなると、私が分かっていなくちゃダメだよね……)
知らない土地で生徒を引き連れるなんて、大丈夫なのか?!責任重大!
それからの日々、プライベート旅行の話をしているかのような3人を横目に、私はモロッコについてひたすら調べることになったのである。

数日後、チケットの購入期限が迫ってきた頃だった。私は突然ムッシューGから「君は学校に残ってもらうよ」と告げられた。依頼でもなければ、意思確認もナシ。完全に命令だった。訳が分からず憤慨している様子を悟られないよう、私はできるだけ冷静に理由を尋ねた。
「学校開放日だからね。日本クラスの宣伝をしてもらいたいんだ」
学校開放日とは、教員や生徒が受け持ちクラスや学校の様子を”来年度入学を考えている保護者や学生に”紹介する催しだ。私の日本クラスは今年度で終了となるから、次年度開講されることはない。開放日は授業もないから、私は出勤しなくても良いことになっていた。出勤しないんだったら、ということで引率の話も進んでいたのではなかったのか?
「来年度の宣伝ですよね」
「そうだよ」
「引き続き私は働けるのですか?」
「君のビザの期限は今年度までだろう?ビザのない君を雇うことはできない」
「来年度開講されないクラスのことを、親御さんや学生に宣伝できません」
「君がいなくても、君のようなインターンをまた呼ぶよ」
「次の人は決まったんですか?」
「いや、何も決まっていない」
「開講されるかわからない、開講されても別の誰かが受け持つクラスのことを、私が宣伝するんですか?」
「その通り」
「それなら来年度も働かせてもらえませんか?」
「それはさっきも言っただろう。ビザがなければ雇うことはできない。話は以上だ」
ムッシューGはそれっきり、話を打ち切ってしまった。

何なんだ。どう考えたって理不尽じゃないか?しかも、開講有無も決まっていないのに。宣伝しておいてクラスはありませんなんて、もし日本クラスのために入学を決めた人がいたとしたら、無責任じゃないか!
教員部屋のソファーに、いつになく荒々しく腰を下ろす。側にいた大柄な女性教員がチラっと私を見て、「やれやれ、何て座り方をするんだろう」とでも言いたげに肩をすくめた。
こんなときに限って、教員部屋にいたのは普段話をしない人だけだった。さっきムッシューGから告げられたことを、今このやるせない思いを、話せる人がいない。不覚にもポロポロと、何粒かが頬をつたってしまった。
(こんなところは見られたくない~!)
慌てて涙を拭ったのだが、先ほどの大柄な教員が目ざとく私の様子に気付いた。
「あらあら、何かあったのかしらね」
独り言のようにつぶやき、彼女に背後から声を掛けた細身の女性教員にも
「あの子、泣いてるみたいよ」
などと言っている。
(聞こえよがしに言ってんじゃない!)
泣いてないし~!と笑って強がる間柄でもない。そのときはただただ、話ができる人に側にいて欲しかった。

教員部屋を立ち去り、気分を落ち着けようとしていたとき、マルティヌが
「あなたが泣いていたと聞いたのだけど」
と声を掛けてくれた。
(国は違えど、噂話は早く広まるなぁ)
私はムッシューGとの間で起きた出来事を彼女に話した。
「それは断っていいのよ。あなたがやる必要なんてないんだから」
「私もそう思う。ちょっと考えてみるね。ありがとう」
彼女に話を聞いてもらったことで、幾分か気持ちが収まってきた。
その後、事情を知ったマリーやラシェル・ジャッキーがムッシューGに掛け合ってくれたのだが、校長は首を縦に振らなかった。彼女たちは私と同じように憤慨し、マリーとジャッキーはムッシューGのことを散々にこき下ろした(笑)。3人は出発前、
「フランスとモロッコにいても私たちは一緒よ」
と感動的でちょっとくすぐったい言葉とともに、掌サイズの小さな絵本を私にくれた。絵本の箱の中には3人からのメッセージが添えられていて、そちらも前述の言葉同様、私を感激させたのだった。

引率って、普通は希望でどうにかなるものじゃないよなぁ。行ったことがない国に仲良くしている教員と一緒に行けるとか、浮ついた気持ちもあった。文化交流の役割を担うインターンとして、自分とか別の人とか年度とかに拘らず、今自分がやっていること・日本のことを紹介して興味を持ってもらう方が重要なのかも知れない。教師でもない人間を受け入れてもらっているという、学校への義理もある。一方、正規職員じゃないし無給だから、そこまで自分を追い詰めなくてもいいのかもと思う私もいた。
結局、葛藤はあったものの、来年度のことではなく、今自分がやっていることを宣伝してやろうと思い直した私。それならできるだけやってやるぜ!とパネルなどを作成し(何だか日本の修学旅行の事前準備っぽくなった)、学校開放日に臨んだのである。
当日、何組かの家族が日本クラスの部屋を訪れてくれた。中には
「日本に興味あります!来年もあなたが教えているんですか?」
と嬉しそうに話し掛けてくれた学生もいた。私は
「いえ、私は今年だけで、来年のクラスがどうなるか分からないんです。でも、今日は楽しんでいってくださいね~」
と、日本の写真を見せたり、折り紙や切り絵を体験してもらった。
次年度、インターン高校では日本クラスが開講されなかった。あのときの家族は進路をどのように決めたのだろうか?日本クラスがある学校に進学したのかな?もし私のいた高校に決めて日本文化と触れ合えなかったとしても、引き続き日本への興味を持ち続けていて欲しい、と願うばかりである。

モロッコ組から帰国後に話を聞いたところ、思わぬ出来事に見舞われたようだ。この修学旅行では、モロッコの他にアルバニアへ寄るはずだったらしいのだが、何らかのトラブルでイタリアとの国境を越えられなかったらしい。マリーもジャッキーもイタリア語ができるから、国境で色々掛け合ったりしたそうだが、ダメの一点張りだったそうだ(国家間のことだから、ムッシューGのダメ出しとは訳が違う!)。旅程を変更したり、モロッコでは風が強くて砂に悩まされたりサソリに遭遇したりと、「とてものんびりはしていられなかった」のだとか。それでもみんな「また行きたい」と言っていたし、「今度はシホも一緒に行きましょう」「あなたの方はどうだったの?」とお互いの話をして笑い合えたのだった。
ダメ出しから始まった今回の出来事。行けなくなったときは落ち込んだけれど、話を聞いてくれる人がいてくれて良かった。ちょっと照れくさいけど、もらった言葉に元気づけられもした。そのお陰で学校開放日にやる気を出すあたり、私って本当に単純な人間なんだなぁとつくづく思う。

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