ある日、プラン・ソレイユ~太陽がいっぱい~
今年の夏も、昨年同様に猛暑となるそうだ。近年の東京は、春と秋が短い。寒さで強張っていた身体が少しずつ解れてきたと思ったら、今度はじっとりと水分を含んでだる重くなる。軽快に過ごせる季節が圧倒的に少なくなっている。
2024年、日本では3月の時点で何日かが夏日となり、フランスでも4月初旬に気温が27度近くまで上昇した地域があったらしい。太陽好きなフランス人でも、時期外れの陽射しは喜ぶより驚きのほうが大きかったようだ。
メラニン色素が少ないヨーロッパ人は、紫外線から目を守るため、夏でなくても日常的にサングラスをかけていることが多い。私がインターンをしていた高校では生徒も持参していて、授業中に窓際の席の子がおもむろに取り出して装着するのを見かけた。どうやらフランスでは、幼い頃から携帯品の中にサングラスを含めているらしい。
私は2回目の留学で半年ほど渡仏するとき、外国人がキョロキョロしていたら強盗に狙われるかも知れないと懸念し、視線を隠すためにサングラスをしようと思いついた。ただ、私は普段から眼鏡をかけていたので、サングラスも度入りにする必要があった。コンタクトの上からサングラスという手段も考えたが、ソフトはアレルギー体質の私とは相性が悪く、ハードは痛くて目が受け付けなかった。使い捨てタイプは、金銭面と留学期間分の量を持ち込むにはかさばるという理由から除外。今となっては浅知恵としか言いようがない愚案を、私は大真面目に検討し、度入りのサングラスを作ることにした。
日頃から眼鏡が似合わずイマイチぱっとしないと感じていたくせに、しかもサングラスをしたこともないくせに、よくもまあ、度入りでこしらえようなどと決心したものである。眼鏡屋さんで色々と試してみたとき、どれもこれもしっくりこなかった。わざわざ作る必要あるかしら、ただのサングラスだったら、流行りさえ気にしなければ時間が経っても使えるかも知れないけれど、矯正用は視力が変わったら使えないよね、という理性が辛うじて働いた。けれど、私にはどうしてもお上り感を隠すアイテムが必要なんだ!と愚案推しする誤った信念が理性を妨げ、度入りサングラスを注文した。
そのサングラスをかけたかつての写真を見返してみると、自分で言うのもなんだが、ひどい有様である。映画などに登場する外国マフィアのような、黒すぎるレンズ。視線を探られないような仕様にしたわけだから、至極当然のことではあるが、それにしてもタールのように黒々としている。せめてブラウン系だったら、微かではあっても雰囲気が丸くなっただろうに、黒髪・黒眼鏡はアヤシイ(それは私だけかも)。
更に残念なことに、度入りにしたとはいえ、それだけ黒いと周囲が見えづらい。スキー場でゴーグルを外して周りの様子を確かめたくなるときのように、私はちょくちょくサングラスを外しては、色なしの眼鏡とかけ替えていた。
「眩しくないの?していた方がいいわよ」
フランス人の友人は、私の目のことを心配してくれているのか、サングラスをかけるよう勧めてきた。
「日本人は色素が多いからかけなくても平気なんでしょ?いいわね」
と言って肩をすくめる友人もいた。
留学にしろインターンにしろ、私は南仏に滞在する機会が多かったので、現地では東京やパリよりも一年を通して日光を享受できる期間が長かったように思う。映画の場所とは異なるが、‟プラン・ソレイユ(太陽がいっぱい)”な環境。アラン・ドロンやマリー・ラフォレのような装いの方々が、揃ってサングラスをかけ、私の目の前を通り過ぎて行った。小さな子どもでさえ堂に入った佇まいで、私は自分の取ってつけた感が気恥ずかしくなった。
結局、サングラスはほんのちょこっとしか使用せず、私は視線がバッチリ見えてしまう眼鏡でキョトキョト・オドオド全開の生活を送ったのである。
※下の写真がそのサングラス。レンズに写るものがはっきりと分かるくらい黒い。かけ替え用の眼鏡が胸元にあるのが情けない(わざわざサングラスを度入りにしたのに~)。
今の私は、ブルーライトカットレンズを使用した眼鏡をかけていて、遮光調光でカラーが変わる。そのカラーが紫水晶色というか白菫色というか、顔色があまりよろしく見えない色なのである。ブルーライトカットの眼鏡をしている人は少なくないと思うのだが、こんな色に変わっている人を見かけたことがないのは、気のせいだろうか(私の眼鏡が安物だから?)。
日本でもプラン・ソレイユの時期が長くなってきたことを考えると、これからは眼鏡やサングラスのコンプレックスから抜け出して、それなりに様になっていたいなぁ。