ある日、ブレッソンとベルトラン
カメラレンズにカビが生えてしまい、一眼レフで撮影しなくなってから数年が経つ。
当時はカメラケースに大きめのシリカゲルを入れて保管していたが、しばらくして室内の籐家具などにカビを発見し、慌ててケースを開けてみたら見事にやられていた。
後日、クリーニングに出さないと取れないかなぁなどと会社で話していたら、「使用しないときは除湿剤と一緒にジップロックなどに入れて密閉しておいたほうがいい」と教わった。プロの方々はドライボックスや防湿庫などにきちんと保管しているようだけれど、何台も持っているわけではない素人にはお手軽な方法だ。レンズからカビを取り除いたらそうしよう、と決意したものの、クリーニング代とレンズ代を比較し、買ったほうがいいんじゃないかと迷って保留にしたまま現在に至る(もっと大事に扱おうよ……)。
いつ頃から写真に興味を持っていたか、はっきりとは覚えていない。自宅がもらい火で全焼し、ネガもプリントも焼失してしまったから定かではないが、確か中学の移動教室ではバンバン撮っていたように思う。火災のあとからニャンズが家族になり、鬱屈とした気分を晴らしてくれるアイドルたちをこれでもかと撮りまくったので、家族以外の人間には、数でも撮影技術でもなんじゃこりゃ!レベルの猫写真が部屋の一部を占領するまでに増えた。
頻度は多くないものの、鑑賞にも出向いたりする。撮影を始める以前は、旅行パンフレットや雑誌の風景写真を切り抜き、こんなところに行ってみたいなぁ、景色を見てみたいなぁと、スクラップブックを作っていた。風景写真以外にも興味を持ったのは、学生の頃、テレビにちらっとだけ映った一枚のモノクロ写真に強烈に惹かれてからだ。写真展のCMですぐに映像が切り替わってしまったけれど、写真家の名前を控えることができた。調べてみると、私が持っていた詩集(岩波文庫『フランス名詩選』)の表紙に使われている写真を撮った写真家と同一人物であることが判明した。その本は、詩にはさほど興味はなかったが表紙の写真が素敵だったので購入していたものだった。また、インターネットでたまたま見かけた航空写真にも惹かれ、その写真家についても調べてみた。気になった写真家二人がフランス人だと分かったとき、やっぱりフランスには心動かされるものがあるのだな、と一人で得心した。
アンリ・カルティエ=ブレッソンと、ヤン・アルテュス=ベルトラン。
これはもう、現地に行ったら大いに写真を撮って・観てこなくては!
いざ海を渡るとき、年代によって私は様々なカメラを持って行った。フランス初留学のときは、まだフィルムカメラだったので、36枚撮りを30本と、使い捨てカメラを2本ほど持ち込んだが、それでは足りずに現地で追加購入した。下手の横好きは、枚数も荷物もかさばって仕方がない。
2回目の留学ではコンデジを持って行ったので、バッテリーと変換プラグの心配だけで良くなった。このときのコンデジは、ライカレンズで手ブレに強い!と大々的に宣伝されていたもので、レンズのことは全く分からないけれど、ブレない方がいいなぁと購入した一台だった。手ブレ以外の主な機能として、光学3倍ズーム・4.0メガピクセルがうたわれていた。機械に弱い私にとって、それらは今一つピンときていなかったけれど、モニターが大きいことや掌に乗るサイズ感ということもあって、結構愛用していた。それなのに、カメラを石畳に落とすというヘマをやらかし、衝撃吸収素材のポーチに入っていたにも関わらず、モニターにひびが入った。さすが、ローマ時代から残る建造物は構造だけでなく石の素材も頑強らしい。動作確認したときは撮影できたしデータも残ったため、このままでも何とかなるんじゃないかと引き続き使用していたが、そのうち使えなくなってしまった。留学期間中で、修理などをどこに頼めば良いか分からなかったということもあるが、もし修理ができる場合、モニターだけ換えてもらえたりするのだろうか?できるとしても、予想の範囲では、レンズのカビと同様、買い替えたほうがいいくらいのコストが掛かる気がする。悔やまれるのは、保険に入っていたのだから申請すれば補償されたはずだということ。数年後に留学中の話をしたとき、友人から「何で申請しなかったの?」と言われ、そうだった!と大ショック。今まで損害の申請をしたことがなかったから、思いつきもしなかった。保険って、入って安心してるだけじゃ意味ない……。
愛用のコンデジが壊れてしまったため、同じようなものにするか一眼にするか散々悩んだ挙句、デジタル一眼を使ってみることにした。これからは撮りたいものを自分で操作して撮ってみたいよねぇなどと意気込んで購入し、インターンのときには一眼で臨んだものの、自分の反射神経の悪さにガックリ。撮りたい!と思った瞬間にベストな設定をすぐに操作できず、撮り逃すことが多くなったため、Pモードで通すことにした。初めはフルオートにしたのだが、フラッシュ禁止場所で内臓ストロボが自動でシャカコーン!と開き、焦ってしまったため、手動でストロボ操作ができるPモードにしたのだ。フラッシュ禁止ボタンを使えばフルオートでも良かったのでは、とあとから気付いたくらい、機械操作に四苦八苦していた。重いし操作には慣れないし、一眼を持っているというだけで上級者と思われ撮影を頼まれたりするし(初心者マーク付けたい……)。承りますが、期待しないでください!
保険と同じで、使えるものを使わないと意味がないのだが、撮りたいと思った対象や瞬間を、ただやみくもにおまかせ設定で撮影していた。
鑑賞に関しては、インターン渡仏の年にブレッソンが亡くなり、当時は喜ばしくない状況で彼の写真を目にする機会が増えた。彼がライカを使用していたこともそのときに知ったので、つい、使えなくなったコンデジのことを思い出していた。
パリのヨーロッパ写真美術館は来場者数が少なかったので、落ち着いた雰囲気でのんびりと鑑賞できた。その年は、ブレッソンやベルトランの企画展が地方でも開催されていたため、彼らの写真に触れる機会があったのは(ブレッソンに対しては不謹慎な発言ではあるが)幸運なことだった。ブレッソンの撮影地の一つが、かつて通った語学学校のある小さな街だったりしたので、また一つ繋がりができたと自分本位な解釈をしたり、ベルトランが撮影した日本の近代的な風景に、人の手によって造り込まれた建造物の画の面白さを感じつつ、彼の他の航空写真ではあまり感じない閉塞感を覚えた。
ブレッソン、来年は没後20年にもなるのか~。回顧展とか日本でもやりそうな気がする。
ベルトランの最近の写真はどんな感じだろう?インターン期間中の企画展以降に撮影された日本の風景があれば、特に見てみたいと思う。