ある日、ピクニックを持って

コロナ前のある秋の日、マルティヌが日本へやって来た。私は十数年振りの再会に嬉々として、彼女が指定した公園へピクニックを持って出向いた。

ピクニックと言うと、日本だと野外での食事、それも都心とか自宅の庭ではなく、足を運んだ自然の中で食べることを想像するのではないだろうか。
このピクニックの語源はフランス語の‟pique-nique”。私はフランス語を勉強する前まで、英語だと思っていた。元々はちょこっとしたもの(nique)をつまむ(piquer)という意味で、それぞれが持ち寄ったniqueをみんなでpiquerするようになったことが始まりのようだ(諸説あり)。これが15世紀になって、貴族が狩猟に出掛けた際、みんなで食事(椅子とテーブルが用意され、使用人が給仕する豪華なもの)を楽しんだことからブームとなり、イギリスなどに伝わったらしい。私が冒頭で述べたような想像は、英語の‟picnic”がアウトドアでの食事を意味しており、日本でピクニックと言うときも、ハイキングなどに出掛けて外で食事すること、というイメージが定着しているためだと思われる。
ではフランスではどうかと言うと、持参した食事を屋外で食べること、あるいはお弁当自体をピクニックと呼んでいる。自然の中でなくても誰かと一緒でなくても該当する、幅広い意味を持つ言葉へと変化したようだ。

インターン高校の教員仲間たちは、様々なピクニックの形を取り入れていた。
マリーは静かな環境を好むタチで、教員部屋も煩わしいらしく、授業の合間の休憩で部屋に立ち寄ったときも、カウンターでカフェをささっとすすり、すぐ自分の持ち場である自習室へ戻って行った。そんな彼女だからランチを教員部屋で摂るなんてことはなく、お昼は決まって外に出ていた。マリーは免許を持っていないようで、車を運転しなかったから、昼休みに徒歩で自宅へ戻るのは難しかった。そのため、高校近くのお店で食事することもあれば、ピクニックを持参したりテイクアウトしたりして、街中を歩きながら済ませているようだった。
「高校裏のサンドイッチ店のフリット&ステークサンドをピクニックして、川沿いを散歩してきた」
昼食から戻ったマリーは、ときどきこんな風にお昼の行動やランチ内容を教えてくれた。このサンドイッチは、バタールにフライドポテトとステークアッシェ(牛ひき肉のステーキ)を挟んだもので、高校の生徒たちや若い男性教員に人気があった。マリーに連れて行ってもらって私も食べてみたが、バタール1本を使用し、ステークアッシェが2枚とこぼれんばかりのフライドポテトが盛り付けられていて、かなりのボリューム、そして高カロリー食だった。レタスやトマトが入っていたらいいんだけどな、それにカロリーも気になるし……と思いつつ、私は全部平らげた。ポテトの塩気やステークの肉々しい脂みがバタールの香ばしさや甘さといい塩梅で、噛み応えもクセになり、私はそのあとも数回、このサンドイッチをピクニックした。歩きながらではちょっと食べにくいけれど、公園とか川沿いの芝生に座っていただくと何だか元気になった。
ラシェルはご自宅が遠いので、ランチは決まってピクニックを持参していた。彼女は天気が良いと外へ出て行くことが多く、持参したピクニック片手に街中をブラブラしているようだった。私も何回か一緒にラシェルとランチの街歩きをしたが、彼女はサンドイッチを頬張りながらモノプリなどの店舗へ堂々と入って行き、品物を眺めていた。私はサンドイッチが商品や周囲の人に当たったら大変、と気が気ではなかったのだが、ラシェルは店員さんに笑顔で一言
「触らないから、ちょっと見せてね」
と声を掛けていて、店員さんも笑って許可していた。彼女は人当たりが良く、誰からも好かれる人柄だったので、他の人、例えば私が同じことをしたら店員さんは眉をひそめたかも知れない。ラシェルは教員部屋でランチするとき、マリーやジャッキーといったとりわけ仲の良いメンバーがいなくても、いつも誰かしらとすんなり会話できる人だった。
「あなたのピクニック、美味しそうね!何が入っているの?」
ラシェルからそんな風に話を振られた教員は、得意気に作り方を披露し、
「味見してもいい?」
というラシェルに喜んで自分のピクニックを言葉通り‟piquer”させていた。
マルティヌはご自宅が高校から徒歩数分だったので、ランチにはいつも帰宅していた。そのため、彼女の学校昼食用ピクニックは見たことがなかったが、アクティブな彼女は授業の合間に街中をランニングしたりしていて、そのためのピクニックを持参していることがあった。
「私はベジタリアンだけど、マラソンの身体作りのために、ちょこっとお肉を摂るようにしているの」
ランニング後に教員部屋へ戻ってきた彼女はそう言って、サラミなどの乾燥肉を取り出し、むしゃむしゃと頬張ってから次の授業へと向かっていた。
余談だが、私もこの合間ランニングにお付き合いしたことがある。ごつごつと凹凸がある石畳は想像以上に走りにくかった。しかも、通行人を避けながら。この街には川沿いに平らな遊歩道があって、道幅も広いのだからそちらの方が走りやすいと思うのに、なぜ街中を走るの?という疑問とともに、私はマルティヌに続いて狭い路地や高台までの急勾配をジグザグと走り抜けたものだ。

そのマルティヌが、お嬢さんのご家族に会うため来日するので、空いた時間に会えないか?と連絡をくれたのが数年前。インターンからは数十年が経過していたので、お互いに顔とか分かるかしら?という不安がちらりと頭をかすめた。でも、待ち合わせ場所に外国人が現れたらさすがに分かるだろう、とお気楽に考えることにした。マルティヌが都心の公園を指定してきたので、秋晴れが続いていたこともあり、私はピクニックを持って彼女に会いに行った。
私の方が先に着いたようだったので、向かってくる人波に目を走らせる。外国人がやってきたらすぐに分かるだろうなんて考えてしまったが、想像以上に人出が多く、欧米人もちらほらと紛れていた。マルティヌの空いている日が平日だったので、私は有休を取っていた。紅葉シーズンではあるけれど、週末よりは人が少ないだろうと高を括っていたが、予想に反して公園入口には絶え間なく人が流れ込んでいた。
一瞬、マルティヌらしき外国人がやって来たように思い、私はつま先立ちで手を振ろうとし、すぐにその手を引っ込めた。
金髪?マルティヌは黒髪のはず。でも、顔はマルティヌだなぁ……?
「シホ?」
やっぱり、マルティヌだった。フランス式で挨拶をしたのち、髪色が違うね、と尋ねたら、白いものが目立つから染めたの、とのこと。白でも黒でもなく金に染めて似合ってしまうところは欧米人だからなのでしょうが、それにしても、もともとブロンドの人のように違和感がない!しかも、ユニクロのダウンを着てモコモコしない人はモデルさんくらいだろうと思っていたが、細身の彼女はスマートに着こなしていて、外人モデルさながらだった。先ほど再会のビズをしたとき、周囲の視線を感じたのは、ビズが珍しいからだけでなく、他の人から見ても彼女が目を引く存在だったからだろう。
私たちは公園内の紅葉や温室の植物を一通り見て回ったのち、開けた広場で食事することにした。マルティヌには、私がピクニックを持参することを話していた。
「娘に、お昼はどうするの?って聞かれて、今日はシホがピクニックを持ってきてくれると言ったら、ああ、晴れているしそれはいいわね!って」
マルティヌは滞在中、毎日この公園に来ているそうで、お嬢さんのご家族ともたびたびピクニック持参で散歩しているらしかった。太陽大好きなフランス人は、日焼けなど気にせず、日光浴を楽しむ傾向にある。この日も、日本人は日陰を探して歩き回っていたけれど、私たちは広場の中央に陣取って、陽光を全身で吸収していた。
私はベビーリーフとトマトのサラダ、クロワッサンサンドイッチ、コーヒーを用意していた。マルティヌがベジタリアンなので、サンドイッチの具材はゆがいたほうれん草とマヨネーズで和えたマッシュエッグ、クロワッサンにはバターの代わりに粒マスタードを塗った。ベジタリアンには卵や乳製品を食す人と食さない人がいて、マルティヌは卵OKだった。乳製品に関しては、フランスで彼女のお宅に招かれて食事した際、
「牛乳の代わりに豆乳を飲んでいる」
と言っていたので、乳製品はダメなのかも知れないと思っていた。でも、このときふと気付いてしまったのだが、クロワッサンにはバターがたっぷり含まれている。しまった、大丈夫かしら?と内心慌てていると、彼女は何事もないように私のサンドイッチを口にしていた。良かった、乳製品もOKなのかな、あるいは、乳製品自体はNGでも、含まれる食品はOKなのかな?などとあれこれ思いを巡らしたが、敢えて聞こうとはしなかった。食べられないものだったら、マルティヌは丁寧に断りつつ、そう言ってきたことだろう。
この日は晴天だったけれど少し風が強く、私たちは埃や自分たちの髪の毛を気にしつつ、お互いの近況などを話し合って1日を終えたのだった。

マルティヌと日本で再会したあの日は、丁度今頃の時期だったんじゃなかったかな?今年は残暑が続いて例年より紅葉の見ごろが後ろ倒しになっているようだから、今後数週間はピクニックを持って外での食事を楽しめるかも知れない。

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