ある日、よみがえるトラウマ
「真夏にジーンズって、すっごく暑苦しいよ」
ニコとの日本語レッスン日、私の格好を見るなり彼はそう言って、げんなりした顔をした。
必要最低限の服しか持参しなかったフランスでのインターン期間中、私はほとんどジーンズで過ごしていた。晴れがましい席があったときのために、と着物やワンピースは用意していたし、あまり荷物を増やしたくなかったので、何かあったら買い足せばいいやと思っていた。9月からの滞在だったので、冬を迎える際、防寒用に数枚購入したものの、帰国が迫った夏には、追加で服を買おうとは思わなかった。そんなわけで、私のボトムスは季節を問わずジーンズになっていた。
着用している本人だって暑さを感じていないわけではないから、傍目にも暑苦しいと思われても仕方がない。しかし、それは何もジーンズのせいだけではない。典型的なフランスの建物事情により、エレベータのないマンションの階段を、ニコが暮らす最上階までふうふう言いながら上ってきたうえに、部屋にエアコンがないのだから!ジーンズを履いていなくたって、汗くらいかきますわ!!
「シャワー使っていいよ」
フランスでは、いや、日本でも気軽に女友達にバスルームを使用させたりすることがあるのかも知れないが、その感覚に私は慣れていない。
「着替えとか持ってないし、汗もすぐ引くと思うから、大丈夫」
汗臭いのは身だしなみとしてNGなのかも知れないが、郷に入れば、で私も普段から香水などを使用するようになっていたので、不快感を与えない程度には緩和されているはずだ。
「着替えなら貸すから。はい、これ」
そう言ってニコが取り出してきた服を見て、私はかつてのトラウマがよみがえった。
本題に入る前に、私の性格について少し話をしておきたい。
社会人1年目のとき、同期の男性から
「本当に天然だね」
と言われ、私はそのとき初めて自分が抜けているのだと気付かされた。
自分が何か変なことを言っちゃったりやっちゃったりすることがあるんだな~ということは、周囲の反応から薄々感づいてはいた。最初に気付いたのは、3歳頃のことだったと思う。お寺か神社にお参りをした際、鳩の群れに近寄ったときのことだ。若いカップルが鳩に投げたポップコーンがたまたま私の目の前に落ちた。私は自分に投げられたものだと思い、拾って口にした。そうしたらカップルの女性のほうが
「あら、いやだ」
というようなことを言って、私を横目で眺めながら男性と一緒に笑っていた。どうやら私は変なことをしたらしい、すごく恥ずかしい!と感じたことを今でも覚えている。
私が天然であることを知っている友人から数か月前、
「『クールドジ男子』に出てくる人って、シホそのものだよ」
と言われ、私はクールでも男子でもないのに、何が似ているの?と承服しかねた。ちょうどアニメが放映されるとあって、どんなものか確かめてみようじゃないか、と録画して現在までの全話を見てみた。
……確かに、思い当たることだらけ。放映されたアニメの内容の8(いや、9?)割が該当している。眼鏡を掛けていないときに上げる動作をするとか、キャップを閉めたまま飲み物を注いだり飲もうとするとか、私には日常茶飯事なので、そんなことまでドジに含めますか?と思ってしまうくらい。それにしても、アニメには5人の男子が登場しているけど、5人分のドジを一人でやってしまっている私ってナニ?友人は私そのもの、と言っていたが、彼らにはクールなイケメンという取柄がある一方、私の場合、“ドジ”だけ……。
このアニメでいうところのドジを数十年も重ねてきている私が、記憶を封印していた出来事がある。確か小学校4・5年生だった頃のある朝、学校に行く前に着替えようと、自分用の箪笥から服を取り出そうとしたときだ。見たことのない、新しい洋服が入っていた。当時は母が服を新調してくれていたから、見かけないものがあったとしても不思議ではなかった。ただ、いつもなら購入前に希望を聞かれたり、
「新しい服を買ってみたけど、どう?」
などと感想を聞かれていたので、今回は何も言われなかったなぁと漠然とだが違和感を感じていた。それでも、まあいいや、早速だから着てみよう、とその日は新しい服を着て登校した。
1日が過ぎ、クラスメイトの女の子と帰宅途中、たまたま服装の話になり、そこで私はこの服の正体を知ることになる。
確かに、いつものとはちょっと違うと思っていた。
薄手の素材とか、ウエストゴムとか、正面がチャックではなく、小さなボタンだけで比翼仕立てになっているとか。
どうやら私は、兄のトランクスをショートパンツと間違えて履いてきてしまったらしい。
もう、このときの衝撃ったら!
恥ずかしくて気が狂うかと思った。
猪突猛進で自宅へダッシュし、下着も記憶も封印することにしたのである。
後日、そのとき一緒に帰宅した女の子から、
「お兄さん、トランクス履くの?お洒落な柄だったねぇ。うちのお兄ちゃんはブリーフだよ」
などと言われ、羞恥死寸前。絶対に公言しないよう誓いを立ててもらい(彼女は優しい子だったので、約束は守られた)、見なかったことにしてもらった。
当時中学生だった兄、ごめんね。思わぬ形で、世間に下着を晒してしまって。ここまで公にしてしまったのでついでに言ってしまうが、茶系のタータンチェック柄だった。
あのとき記憶を封印してから、すっかり忘れていたトラウマがよみがえる。
ニコが着替えに、と渡してくれたのは、トランクスだったのだ。
(トランクスを、私が、履くんですか?)
見るくらいはいいとして、履くってことには身体が拒否反応を示している。
うろたえている私を見て、ニコが不愉快そうに
「ちゃんと洗ってあるよ」
とふくれっ面をして、服をベッドにパサっと放り投げた。
私のリアクションは、衛生面を気にしてのことじゃないのよ~(そりゃ、それも気にしますけど)。
「あのさ、この格好で外に出る女性とかいるわけ?」
ファッション最先端のフランスでは、夏場に見かける女性のショートパンツとかホットパンツが、実はトランクスだったりするのだろうか?
「は?室内で着るんだよ。女性も部屋着としてトランクスを履いたりするから」
「そ、そうなんだ……」
ああ、勘違い。
ニコは、私がシャワーを浴びたあと、ジーンズの汗が乾くまでの間に着ておく服として、トランクスを貸そうとしてくれたようなのだ。私はてっきり、今日1日これで過ごしたら、と提案されたのだと思ってしまった。
さすがに、下着で外を出歩くなんてことはしないよね~。
トラウマのせいで、冷静さを欠いてしまった。
ニコにはシャワーも着替えも丁重にお断りして、私は何とか気を静めた。
また、記憶を封印しなきゃ。
前回の記憶封印から、はや18年。
またしてもトラウマがよみがえった。
『クールドジ男子』は今年4月に実写化されるらしい。
彼らのドジは、可愛らしくて、ほのぼのしていて、受け入れられる内容だからなぁ。
私の天然っぷりは、本にまとめられるくらい事例があるけど、自分ですら受け入れ難いことばかりだからなぁ。
今度こそ、永久に封印しなきゃ。って、これだけ大っぴらにしておいて言うことじゃないか~。