ある日、どんな風に過ごしたの?

新年が明け、高校に教員と生徒が戻って来た。ヴァカンス気分が抜け切らない彼らは、教えるほうも教わるほうも身が入っていない。そりゃそうだろう。まだ1月3日だもの。私だって、日本だったら駅伝見てますわ。
2005年は1月2日が日曜だったので、年明け2日間はお休みだった。だが、フランスでは通常ヴァカンスは1月1日まで。2日からお勤め再開の人が多いのだ。日本の正月休みというよりはクリスマス休暇の延長で、元旦がヴァカンス最終日となる。そのため、12月31日は夜通し騒ぎ、1日1日は酔い覚ましに充てているという人もいる。お蕎麦と除夜の鐘でしっぽり・夜が明けたら初詣でその年1年間の健康や安全を祈願するような、いわゆる日本の伝統的な年越しの風習とは対照的だ。

インターン期間中、大晦日と元旦をラシェル宅で過ごさせてもらった。小学生の娘・ベリンはいつもより遅くまで起きていてもOKと言われ、私たちと話したりしていたが、確か21時ころには部屋に行かされていたと思う。そのあと、普段はお酒を飲まないラシェルがシャンパンを持ってきた。慣れない手つきで開けようとしていたので私が栓を抜く。ベリンが寝ているし、自宅ではないので、飛ばすのはやめて掌内で開ける。ボシュ、という破裂音と瓶から押し上がる圧に、私はすぐさまグラスを手元に引き寄せた。ラシェルとご主人のローランドは「ほんのちょこっと」と、数センチばかり注いだところでストップをかける。私のためだけに用意してくれたのか、と思うと、篤実な彼らの振舞いに感謝と感激で胸が熱くなる。ささやきと控え目な笑い声。立ちのぼる泡の音。グラスに沿ってリング状に連なった泡粒を見つめながら、私は彼らがどんな風に新年を迎えるのだろうと思いを巡らせた。
あと少しで年明け、という23時ころ。
「私たちはもう寝るけど、シホは好きに過ごしてね」
突然、ラシェルからお休みを告げられた。考えてみたら、いつも慎ましいこのご夫妻が年末だけパリピになろうはずがないのだ。とはいえ、年越しを待たずして就寝するとは思っていなかった。だが、彼らの細くなった目元から察するに、私がいたからこの時間まで起きてくれていたようだった。
ビズを交わし、一人リビングに残る。灯りもテレビの音も自分の身体も小さくした私は、画面から流れる映像をボ~っと眺めていた。目まぐるしく変わるライトの下で踊り歌う女性歌手。
(目がチカチカする……。人気歌手なのかな?フランスでも年末に歌番組やるのね~。紅白と違って、得点とかはつかないみたいだけど)
う~む。特に面白くもない。一人で見ているっていうのも何だかなぁ。
(私ももう寝ちゃおうかしら?)
でも、あと少しで新年になる。せっかくなのだから、その瞬間に立ち合いたい。耳にも心にも全く響かない音を聞き流すだけの時間が数十分過ぎ、とうとうカウントダウンが始まった。「ゼロ」とともに花火が上がり、凱旋門やエッフェル塔の様子が画面に映し出される。これ、日本でも見てきた。今年は場所がフランスに移っただけ(そして、オンタイムなだけ)。
(明けましておめでとう~、2005年!良い年になりますように!)
私は映像の花火にこぢんまりと拍手を送ったあと、テレビを消しラシェル宅の離れへ引き上げ、新年早々眠りについた。

で、本日、1月3日。まだやる気を見せない教員と生徒たちは、昼休みに教員部屋や学食に集い、自分たちがどんな風にヴァカンスを過ごしたかを思い思いに話している。若い男性教員の中には、腰を曲げテーブルに臥せるような格好で、オニオングラタンスープをちまちまと口にしている人もいた(フランスでは二日酔いの際、このスープを飲むらしいので、日本のしじみ汁といったところ?)。
「フランスで年を越すのは初めて?あなたはどんな風に過ごしたの?」
教員部屋で女性教員から声を掛けられる。
「年越しは2回目なんですけど、フランスのご家庭で過ごしたのは初めてです」
「そう、それは良かったわね!日本とはやっぱり違った?」
「はい、まあ、ええ……」
日本でも、年をまたぐ時間帯に一人で起きていることが多かったからなぁ(うちも両親が早寝)。フランスで初めて年越ししたのはミレニアムのときで、独り暮らしだった。母が日本から来たのでぼっちのお正月ではなかったけれど、一つのベッドに2人で横になり、お互い寒い寒い言いながら、寝たのか寝てないのか分からないまま新年を迎えた。考えてみたら、友達と賑やかに「おめでとう!」みたいなことは一度もないなぁ。あ、高校生の時、テニスの試合が元旦にあり、部活の同級生と過ごしたことがあったんだった。でもあのとき私は試合に負けたから、お祝い気分にはならなかったんだよなぁ。それ以外は結構毎年、似たり寄ったりの1年を迎えている気がする。
かつての新年を回想し、女性教員には曖昧な返事をしてしまった。

思い出としては地味だが、何をするわけでもない年始が嫌なわけではない。すぐに会社が始まっちゃうし。日本も、全ての人が長いお休みを取れるようになればいいのに~。日本企業で働くこと二十数年、ある会社では有休を1日も使わないまま全部(40日分)捨てて退職したことがある。どんな風に休暇を過ごしたかではなく、休みが取れるのか・取れたのかを心配したり聞かれたりすることの方が多かった。フランス人だったら即刻ストライキだろうな。
インターン期間中は、年末年始のラシェル以外にも、クリスマスにはマルティヌがお宅に招いてくれたし、ホームステイでお世話になったRDP家の皆さんも温かく受け入れてくれた。心優しい人たちに囲まれ、1年を通して一緒に過ごせたということはとっても幸せなことだった。ヴァカンスシーズンのために生きていると言っても過言ではないフランス人は、帰省や家族旅行だけではない楽しみ方・休みを謳歌する方法を知っている。だからこそ、誰もが休暇中の話に花を咲かせることができるのではないかと思うのだ。フランスでの土産話はそこそこ蓄えることができたが、次にフランスの友人たちと再会したときには、帰国後の私が日本でどんな風に過ごしてきたかを語れるようになっていたいものである。

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