ある日、お城へのご招待~そこに住まう人たち~
アンヌ・マリーに呼ばれ、ダイニングへ向かう。テーブルには、彼女の二人の息子さんが席に着いていた。
まず、長男のダミアンを紹介される。彼は28歳。間近で顔を合わせたとき、あれ、どこかで会ったような?と感じたのだが、その理由はすぐに判明した。彼は、このダイニングに掛かっている肖像画の人物、アンヌ・マリーのおじいさんとそっくりだったのだ。緩いウェーブは涅色の短髪で、彫の深い顔立ち。作曲家のシューマンっぽい(でも彼はテクノ好きということが翌日の結婚披露パーティーで明らかになる)。「挨拶はフランス式でいいよね?」と尋ねてくるあたり、人との距離感を慎重に測るタイプのようだ。
続いて、次男のギヨーム・24歳。満面の笑みで両手を広げ、「やあ!」とフランス式の挨拶をしてきた。アンヌ・マリーやダミアンは落ち着いた雰囲気なので、そういうご家族なのかもという私の見解は一気に崩れた。髪はダミアンより明るい栗皮色で、左右も前髪も長め。ウェーブもしっかりしている。彫が深い上に太眉なので、印象に残る顔立ちだ。
そういえば話していなかったが、アンヌ・マリーはスタイルが良く品のあるマダムで、フランス語の先生だから言葉遣いも綺麗で丁寧。髪は銀鼠のチリチリ天パーのため、息子たちの髪質は母親譲りなのだろう。
私たちは食事前に、アンヌ・マリーのいとこさんのワインなど4本をテイスティングすることになった。どうやらこのお宅では定期的にテイスティングを行っているらしい。ワインは毎回旦那さんが用意し、見つからないように隠しておく。そして息子たちに年代や産地を当てさせるのが慣例となっているとのことだった。ところが、今回はギヨームが隠し場所を見つけてしまったらしく、「今回はこういった品揃えだったぞ」と先にバラしてしまった。
そこに、旦那さんがワインの入った箱を持ってダイニングへ入ってきた。ラベルの部分にはご丁寧に布が巻かれていたが、私たち、もう何かわかっちゃってるんです……。そうとも知らない旦那さんは、ピンと胸を張った身体から直角に手を差し出し、私に握手で挨拶した(旦那さんとはこのあともずっとフランス式の挨拶はしなかった)。卵型の顔に眼鏡をかけ、髭は綺麗に剃られつるんとした肌。年を重ね、髪色が銀鼠と白茶のまだらになり、額の面積が少し広がってきている様子。表情を崩さず、厳格なイメージだ。
「いつもこういう顔なの。気にしないで」
私の心の中を見透かされたようなアンヌ・マリーの発言に、そうか、彼が笑わないのは別に私が気に食わないわけではないんだ、と安堵する。
アンヌ・マリーは食事の支度があるから、と参加しなかったので、ダミアンとギヨーム・そして私がテイスティングをすることになった。小ぶりのグラスに3分の1ほどワインが注がれ、傾けたり回したりしながら色や香りを確かめる。そして口に含み、グジュグジュ・ジュルジュルと口腔内で舌を前後するような動きをしたのち、ワインクーラーにベッと吐き出す。私はどうもこの口に含んでからの動作が気持ち悪く、グジュグジュしたり吐き出したりせず、普通にワインを飲んでいた。
食事で汁物をすするような音を出すのはマナー違反なのに、なぜこのときの音はOKなの?自分一人ならともかく、周りで聞くには気分良くないと思うのだけど……。
ダミアンとギヨームは構わず真剣な表情でワインを口に含んでいる。そして、「これは何年ものかな」「いや、もう少し古いんじゃないか?」などと言い合っている。それ、演技なんですよね?
で、何も知らない旦那さんは二人のやり取りを聞いて「うむ、なかなかいい線いってるぞ」などと喜んでいるものだから、ちょっとかわいそうになってきた。最終的にギヨームが1本を「何年のどこ産!」と当てた振りをし、旦那さんが「おお、すごいぞ!正解だ!」と沸いたところでネタバレ。二人の息子から「実は隠してあったのを見ちゃった」と聞かされ、お父さん、憮然としちゃってるよ?!
「そう怒るなよ~!」
と肩を組み、屈託なく笑うギヨームだったが、旦那さん、笑ってない……。本当にいつもそういう顔なのね、と思っておこう。
タイミングよく、アンヌ・マリーが食事の合図をしてくれる。私もそそくさとその場を離れ、キッチンから食事を運ぶ手伝いをする。ワインは美味しかったけど、舌を転がす音や彼らの演技が気になって、どれがどれだったか忘れちゃった。いとこさんのシャトーヌフは何本目だったっけ?それに、食事前だったから何だかふわふわ、足元が浮いてるぞ~。
食事が始まり、ギヨームは「日本語の挨拶を教えて」などと相変わらずフレンドリー。
「初めまして。私はギヨームです」
という一般的で堅苦しい挨拶を教えると、
「もっと言いやすいのは?普段俺らくらいの年代が使っているようなやつ。それから、年齢の言い方も」
と言う。そこで
「俺、ギヨーム、24歳。よろしく」
にしてみたら、「オレ、ギヨーム、ニジュヨサイ、ヨロシ」と呪文のように唱えていた(年齢はまあいいとして、「ヨロシ」ではなく「よろしく」だよと訂正しておいた)。ギヨームはやたらと顔をしかめ声を張り
「オレ、ギヨーム!ニジュヨサイ!ヨロシク!!」
と連呼した。そしてダミアンにも「言ってみろよ」と勧め、「オレ、ダミアン、ニジュア……?」などとダミアンが言い淀むと「もっと大声で!オレ、ダミアン!ニジュアサイ!ヨロシク!!だよ」と突っ込んでニヤニヤしていた(ひょっとして、酔ってる?)。
ギヨームは暫く日本や私について質問をしていたが、徐々に口数が減り、手持ち無沙汰そうにし始めた。どうやら、自分の聞きたいことを一通り聞いたことで興味が薄れたらしい。その後は私が何か尋ねても、「ああ」とか「さあね」という生返事が多くなった。
「明日は娘や親族を紹介するわね。娘はこの上に家族と住んでいるの」
皆がまったりしてきた頃合いで、アンヌ・マリーがお開きの声を掛けてくれる。明日はパーティーもある。早めに休んで準備をしておこう。
翌日、上の階に住まう娘・カトリーヌ家族のもとを訪ねる。彼女は背が高く、涅色の巻き毛をショートカットにしていた。どうやら人見知りらしく、フランス式の挨拶はしたものの、会話はナシ。旦那さんのジェロームもそうなのか、握手の挨拶後は口を開かなかった。一方、息子のジョセフは見るもの全てに興味津々。まだ3・4歳ということもあって言葉は拙いものの、物怖じせずに私のもとへ駆け寄ってきた。
「シロ!」
(それじゃ犬みたい)
私の名前は『シロ』ではなく『シホ』なんだよ、と言ってみるが、彼の中で私は『シロ(フランス語でシロップ)』と認識されたようだ。それって、フランス人には「ハニー♪」的に聞こえてたりするの?もしそうだったとしても、日本人の私には犬を呼んでいるようにしか聞こえないです……。
午後からパーティーが控えているので、カトリーヌ宅はすぐにお暇し、アンヌ・マリーのお母様のところへ。アンヌ・マリー宅と渡り廊下で繋がったお隣に住まわれているということで、1階のリビングの突き当りにある扉をノックすると、程なくしてお母様が顔を出した。アンヌ・マリーのカーリーヘアは家系なのだな、と納得。腰が曲がり杖をついていたが、気品のある佇まいで、ゆっくりと私の方に手を差し伸べ、優しく握って挨拶してくれた。
その後、アンヌ・マリーの妹さん・弟さん家族ともご挨拶。妹さん夫婦はお母様の隣棟に、弟さん夫婦は妹さん夫婦の隣棟に住んでいて、各家庭の住まいは渡り廊下を扉で仕切った形にしているということだった。それぞれに子どもがいる大所帯なので、名前を覚えきれない。妹さん夫婦の長女(確かヴァレリー)は私と同じインターン高校で月に数回、司書見習いをしている。彼女は私が今まで出会ってきた白人の中でもとりわけ色が白く、背は私と同じくらいだがモデルのようにほっそりとした体形で、細かいカールの黒髪を肩まで伸ばしていた。まつげが長くぱっちりとした目をしていて、ときどき物憂い表情をする。昭和の少女漫画で、ヴァレリーと似たような容姿のヒロインの画を見たことがあると思うのだが、そういうところから抜け出してきたような子だった。長男(確かオリヴィエ)は中学生。彼もヴァレリーと同じく色白で、はにかんだ様子で挨拶してきた。二人とも大人しくおっとりとした性格で、やはり口数は少なかった。弟さん夫婦には息子が二人。長男(確かルイ)は小学生で、自転車競技(おそらくBMX)をしており、地域の大会で2位になったそうだ。お城の庭に凸凹を作り、日々練習に励んでいるのだという。次男のレオは5・6歳(たてがみのような髪型だったので、名前は覚えられた)。ルイのことを尊敬していて、子ども用自転車のペダルを必死にこぎ、お兄さんの後に続いていた。
レオと二人になった時、小さな彼が更に背を屈め、こっそりと私に手招きした。
「何?」
私も膝を曲げ、小声でレオに近づく。
「お前、秘密を守れるか?」
「秘密?」
「そう、大人に知られちゃマズい秘密なんだ」
(私も自分では大人のつもりですけど、聞いていいの?)
内心複雑な心境ではあったが、秘密を守ると約束する。
「そうか。なら、ついてこい」
レオは周囲を気にしながら植物が茂るお城の庭へと歩いていく。私はこの小さな殿下に家臣のごとく付き従い、茂みの方へと向かった。
「いいか、声を上げるなよ」
レオは自分の背丈より高い植物の根元にうずくまり、腕を伸ばして何かを取り出した。「ミャー」というか細い鳴き声とともに彼が私の目の前に差し出したのは、生後数週間の子猫だった。
(わぁ~、子猫!)
「触っちゃダメだ!」
私が子猫に触れようとした瞬間、レオが厳しい声を上げた。
「知らない人間の匂いがすると、母猫が別の場所に隠しちゃうんだ。俺はこの家の人間だから問題ないけど、お前はダメ」
(え~、そうなの?)
じゃあ何で連れてきたのよ、という顔をしていたであろう私に、レオは
「大人には教えていないんだ。教えたら、子猫を誰かにあげちゃうかも知れないからな。お前には特別に教えた。だから、絶対秘密を守れよ」
ともったいぶって言い放った。
(臣下は見てるだけ~なのね)
私が仰々しく頷いたのを見て、レオは満足そうな顔で子猫に頬ずりした。
「あ、ここにいたの?」
オリヴィエが大きな葉の陰から顔を出す。どうやら、子ども達はみんな子猫の居場所を知っているようだ。二人はそれぞれ子猫を腕に抱き、鳴いたり暴れたりするこのプチライオンたちを指や葉っぱであやし始めた。
「僕ね、日本の漫画が大好きなんだ!その作品のこと知ってるかな?」
漫画の話を始めたオリヴィエの顔は少し紅潮している。彼は一生懸命自分の好きな作品について説明してくれたのだが、残念ながら私にはまったく思い当たるものがなかった。
「高校で漫画の授業をしたんでしょう?僕も受けてみたかったなぁ。後で僕の好きな漫画を持ってくるから、見てみてよ」
ヴァレリーかアンヌ・マリーから聞いたのだろう、オリヴィエは私が高校で漫画やアニメの講義をしたことを知っていた。でもね、あれは付け焼き刃だったので、私、全然詳しくないの……。
とはいえ、見てみたら分かるかも知れないので、私はいいよ、と返事をした。
オリヴィエが漫画を取りに戻って行くのを見ながら、レオが妙に訳知り顔をして一言
「ふ~ん。お前、ああいう男がタイプなのか」
とのたもうた。
君はまだ5・6歳だろう?産声を上げてからまだ数年しか経っていないのに、いったいどういう環境で育ったらそういう発想が生まれるの??
あんぐりと口を開けている私をよそに、レオは
「うん、あいつも日本が好きみたいだし、いいと思うぞ、俺は」
などと一人で得心している。
(勝手に納得しないで~!)
軽く受け流せばいいものを、私は
「いや、まだ今日会ったばかりだし……」
などと口走っていた。何をうろたえているんだ。しっかりしろ、私!
その後、オリヴィエが漫画を持ってきてくれたのだが、やはり私の知らない作品だった。学生だか警官だか分からないけど、表紙に描かれた制服の女の子たち、みんなスカート短くて胸が強調されてるんですけど……。中を見るのは何となくためらわれたので、表紙だけ見て「ゴメン、読んだことない」と返事をするに留めておいた。
子猫を隠した私たちが庭に戻ると、ジョセフが合流していて、「シロ!」と駆け寄ってきた。
「あいつ、お前の名前ちゃんと呼べないんだな」
レオがやれやれ、という顔をしている。
(年は一つ二つしか変わらないよね?)
そう思ってからふと気付いた。レオはアンヌ・マリーの弟さんの子ども。ジョセフはアンヌ・マリーの娘さんの子ども。ってことは、レオにとってジョセフは従甥?!その年で、既に従兄弟伯父なのか、レオ!
大人びちゃうのは仕方のないことなのかしら、と思っていた矢先。ルイが何かに同意して「僕も」と英語で言った。それを聞いたレオが
「兄ちゃん、ミートゥー。俺、ミースリー。そしてお前はシーフォー(レオは私の名前をshe fourと発音すると覚えていた)。ケケケ」
と歯を見せて笑った。
(あなたも私の名前ちゃんと呼べてないけどね?しかもオヤジギャグ?!)
その年で英語のオヤジギャグを言えたら大したものだ、と思うべきなのか。彼の笑顔から覗く小さく尖った乳歯を見て、まだ子どもだよねぇと改めて実感する。時折見せた年齢と言動のギャップ。今後、どんな大人に成長するのだろう?
さて、もうそろそろ着物に着替えなくちゃ。パーティーは夜中まで続くと聞いている。下手に着付けたら、またお太鼓が落ちちゃうかも知れない(かつて、フランスで別の結婚式に呼ばれたときも和装したのだが、数時間で背中がストンと落ちた)。お城の周りもパーティーらしく飾り付けられてきた。新郎新婦はどんな人たちだろう?
この続きはまた次回。