ある日、1/4回目のホームステイ
留学やインターンを通じて、私はフランスで4回のホームステイを経験した。
人見知りな性格なので、私は他人の家でなんて一生暮らせないだろうと自分自身を決めつけていた。それが突如、初めての海外はフランスで、ホームステイしながら語学学校に通う、などと思考転換してしまったのだから、我ながら読めない人間である。ちなみに、イタリアへの優待旅行が当たり、その期間が留学の1週間前だったため、私の記念すべき外国デビューはフランスではなくイタリアとなったのだが。
それぞれのステイ先の家族とは、エッセイ本やこのサイト内でいくつかご紹介したように、親密になることもあれば、残念ながらそうならないこともあった。
今回は、人生初のホームステイのことについて触れたいと思う。
こちらのステイ先については、エッセイ本の『ある日、娘のご不興を買う』の章や、このサイト内『猫話~ビッグママ宅のバブー~』などで書いている。
かいつまんで説明すると、私が学生の頃、1か月の短期留学でお世話になったお宅で、私が通う語学学校の教員をしている娘と、料理上手な母(マダム)という、女性2人のご家庭(プラス猫1匹)だった。私はステイ先の詳細を知ったとき、大家族だと会話についていけないかも知れないから、初心者にとって少人数なのは好都合なのかも、しかも女性同士で仲良くなれるかも、などと淡い希望を抱いた。娘が語学学校の教員だし、ひょっとしたら家でもフランス語について色々教えてもらえるかも、と厚かましい期待までした。
現地に到着したのは平日の昼間だったので、駅で出迎えてくれたのはマダムだった。私より小柄で、杖をついていたが、白髪を綺麗にセットして真紅の口紅を塗り、上品なブラックコートに身を包んだ彼女は、体躯の湾曲をものともしないような毅然とした空気を纏っていた。1か月の滞在期間中に気付いたのだが、マダムはバゲットを買いに行くだけの外出でも、この装いを崩さなかった。
娘が教員になったのは母親の影響かも知れないな、と想像したのは、マダムが教育者とか議員のような堅い雰囲気も漂わせていたからだ。フランス式のビズではなく握手での挨拶を求められたので、余計にそう感じたのかも知れない。
良い印象を持ってもらいたい、と思った矢先、マダムが車のトランクを開き、私のスーツケースに手を掛け、持ち上げようとした。
(あ、自分でやります!)
心の中で呟いた日本語をフランス語で口にすることができず、オロオロした瞬間、マダムは「ウッ」というような表情で目と口を大きく開き、手にしたスーツケースをまじまじと見下ろした。彼女は目を大きく見開いたまま「フ~ッ」と息を吐き、難儀な様子でケースをトランクに収めると、やれやれという言葉が聞こえそうなくらいに首を振った。
(済みません、重かったですよね?)
とは思っているものの、私の口からは「メルシー」しか出てこない。マダムは何も言わず、苦笑いで返した。
うまくやっていけるだろうか?対面から5分、私は早々と不安になった。
ご自宅に着いて荷ほどきしたのち、私は手土産のお菓子と折り紙細工をマダムに手渡した。彼女が喜んでくださったので、最初の不安は杞憂に終わった。また、仕事から帰宅した娘もにこやかに接してくれたため、この調子でいけば仲良くなれるかも、と期待が膨らんだ。
結果は、エッセイ本やこのサイト内で話した通り、誤解があったり私が失敗したことにより、留学生とその受け入れ先という、ビジネスの範囲で終わってしまった。帰国後にお礼の手紙を書いたが返事はなく、そのまま1年が経過した。
実はその1年が経ったときに、私はこちらのお宅を再訪したのだ。母と2人で。
卒業旅行先をパリに決めた際、「あなたが留学した街にも行ってみたい」と母が言うので、それならばステイ先にもちょこっとご挨拶を、と思い、旅行の1か月前くらいに先方へご都合伺いの手紙を出した。この手紙にも返事がなかったので、1年振りに懐かしい街の土を踏んだとき、私の中では、再訪の喜びとステイ先訪問をためらう気持ちが綯い交じっていた。駅前のマルシェや広々とした公園、川沿いの散歩道を母に案内するときも、頭の中は訪問する・しないの二択を行き来し、うわの空だった。ご自宅の前まで来て、やっぱりご迷惑かしら……と躊躇したものの、最終的に私は、玄関の呼び鈴を押していた。
以前と変わらず、白髪を綺麗に整え真紅の口紅を塗ったマダムが顔を出したかと思うと、「おや、まあ!」と言う声が聞こえそうなくらい、彼女は初対面のときと同じように目と口を大きく開いた。
「お久し振りです。私のことを覚えていらっしゃいますか?」
「もちろんよ!今日はいったい、どうしたの?」
「あの、実は母と来ていまして、ご挨拶を……。1か月前くらいに手紙を出したのですが、届いていますか?」
私は母を紹介し、マダムが手紙を受け取っているかどうか確認したところ、彼女は不可解な面持ちで「ノン」と首を横に振った。
「手紙、届いていないんですね。突然お伺いしてしまって済みません」
やはり、訪問すべきではなかったのではないか?手紙が届いていたとしても、返事を頂いていないのだから、私たちは招かれざる客もいいところだ。欧米人のご自宅へ招かれたとき、約束の時間より早く到着するのはマナー違反だとされているが、アポイントなしにお伺いするのは、それよりずっと失礼なことだよね?!
恐縮する私に対し、マダムは平然と家の中へ招いてくれた。
「前よりフランス語が流暢になったわね」
手土産の和小物やお菓子をにこやかに受け取ってもらったうえにマダムからお世辞を言われ、安堵したのも束の間、劇的に進歩していたわけではない私の会話力では、二言三言キャッチボールが続いてはシーンとしてしまうの繰り返し。フランスでは一同が沈黙したときに‟un ange passe(天使が通る)”と言われていて、「今、天使が通ったね」と誰かが言い出して場を和ませたりするのだが、私たちはお互いにそれを言うこともなく、気まずいままだった。母に至っては、作り笑いをするだけで精一杯。黙ってしまったときにはコーヒーをすすってやり過ごすこと30分ほど、マダムが
「コーヒーのお代わりはいかが?」
と切り出したタイミングで、
「いえ、そろそろ……」
とお暇させていただくことにした。
「お嬢様にもよろしくお伝えください」
「ええ、仕事から戻ったら伝えておくわね。わざわざ訪ねてきてくれてありがとう」
にっこりと微笑むマダムとは、玄関先で握手してお別れ。ステイ中からそうだったけれど、一度もビズの挨拶をしなかった。
いまだに、あのときの訪問を思い返しては悔やんだりしている。若気の至りで済ませたいけれど、それでも相手のことを考えずに突っ走り過ぎたよなぁと嘆息してしまう。あれから25年ほど、失敗を教訓にして年を重ね、少しはマダムのような平静さと貫禄が身についていればいいのですが。