ある日、夜のクルーズ
インターン期間中、個人的に日本語を教えていたニコから、夜のクルーズに誘われた。
「僕もガビから誘われたんだけどさ」
「え~、それなら私、完全に邪魔じゃない!二人で行ってきなよ」
ガビとは、ニコが当時付き合っていた彼氏のことである(このサイト内、『ある日、不自然な均衡』で取り上げています)。夜のクルーズなんて、言葉の響きだけでもロマンチックな場所に同行して、カップルの邪魔をするほど野暮ではない。
「ガビは高校の同級生も誘っているんだよ。ほら、ガビはカミングアウトしてないでしょ?高校生の中に、僕みたいな社会人が1人だけ紛れてたら、何で?ってことになるじゃない。だから、シホも一緒に来てよ」
何だそれは。
私はカモフラージュということですか?
仕方なく誘ってます感が充満している理由に、ちょっぴり寂しい気持ちになる。純粋に一緒に行こうよ!と思って誘ってくれたわけじゃないんだ……。
フランスで友達と呼べる人がごくごくわずかだった(日本でも多いとは言えないのだけれど)私は、こんな風に孤独とか疎外感とかを自己中心的に受け取ってしまうことがあった。
友達とどう接するかは人それぞれだし、この件だけでニコとの友情を疑うのも、狭量というものだろう。それに、理由はどうであれ、困って頼ってきているわけだから無下にもできない。
そこで私は気を取り直し、ニコ&ガビ一行とともに、夜のクルーズに繰り出すことにしたのである。
私がインターンで滞在していた街には大きな川が流れていて、昼間は大型の遊覧船のほか、ボートやカヤックで川遊びに興じることができた(私がカヤックに挑戦したときの話は、エッセイ本『ある日、フランスでクワドヌフ?』の『ある日、優雅には程遠い』の章に書いています)。
ボートやカヤックは安全面などから日中だけ使用可能なのだろうと何となく想像がついたけれど、遊覧船に関しても昼間だけの運行で、夜間に営業しているとは思っていなかった。パリのような大都市とは異なり、川沿いの観光スポット、例えば歴史的建造物などはさほど多くないし、そこらじゅうキラキラとライトアップされているわけでもない。観察できるような動物がいるわけでもない。
このクルーズには、どんな需要があるのだろう?
私はそんなことを想像しながら、ニコと待ち合わせ場所に向かった。確か20時くらいだったと思う。夏だったので、感覚的には16時くらいの明るさだ。
ガビは同級生の男の子4人・女の子2人とやって来た。総勢9名。私は普段から単独もしくは少人数で行動しているうえ、仕事以外で年下の、しかも学生と交流することは滅多になかった。日本では中高一貫校で教育実習したし、フランスでも高校でインターンするくらいだから、学生さんとのコミュニケーションには慣れてるんでしょ、と思われるかも知れないが、ただでさえ人見知りな私には、講義をするとか何らかの目的がなければ、まごまごしてしまう。
私たちはガビから紹介され、お互いに挨拶を交わしたのち、クルーズ船の停泊場へ向かった。ガビはいつもより興奮気味に喋っていて、険しい顔つきで私たちにまくし立てていた。私は彼が何の話をしているのかまったく分からなかった。他のメンバーはというと、ニコはずっと黙りこくっていたし、ガビの同級生たちも相槌を打っているだけだった。
そのうちガビは女の子の1人と手をつなぎ、先頭に立ってズンズン歩き出した。ガビはその女の子の耳元で何かをささやき、女の子の方もまんざらではない様子で笑っていた。
突然誰かに腕を掴まれ、驚いて目をやると、ニコが悲しそうな顔でガビを眺めていた。
ゲイであることを隠しているとはいえ、ニコの前で女の子と必要以上に親し気にするのは残酷だし失礼だ、と私はガビに腹が立った。このガビのカモフラージュ行動で、ニコはたびたび傷ついていたし、報復に出てかえって虚しくなってしまったようだったのを、私は見てきた。報復行為のダシにされたこともあったから、そのときはニコにも苛立ちを覚えたものだ((この話も、サイト内『ある日、不自然な均衡』で書いています)。
とはいえ、2人の問題だから、このあと仲直りしてくれればいいのだけれど。
初めましてのぎこちなさやら嫉妬・憂愁といった空気を乗せたまま、クルーズ船は出航した。
乗船して分かったのは、これは船上パーティーなのだ、ということだった。そういえば、私がカヤックを漕いでいたとき、背後に迫る遊覧船にひかれそうになったことがあった。そのときの船上でも、パーティーが催されていたようだった。大都市より見どころが少ないとはいえ、日中は周囲の景観を楽しみながら飲食できるけれど、夜は真っ暗で景色を見渡すことができない。クルーズにする意味はあるのだろうか?
今回、私たちが乗船したのは遊覧船より小型で、パーティーというよりも飲み会といったカジュアルなものだった。デッキには、膝を付け合わせて囲むくらい小さな丸いテーブルと木箱程度の椅子、それにワイングラスが用意されていて、注文を取りに来たクルーに、ガビがボトルワインを2本注文した。
私はガビやお友達の年齢を知らなかったのだけれど、彼らは高校3年生だったっけ?全員18歳以上になってる?
一応、成人した大人としては、彼らが飲酒年齢に達しているのか不安になる。日本みたいに、学生証みせて、みたいなことは言われていなかった。そもそも、申し込んだ時点で確認されているのだろう。それに、このメンバーで一番幼く見えるのは私だ。クルーが私のことを疑う様子はなかったから、メンバー全員が飲酒OKな年齢だと思われているようだ。
正直なところ、嘘の申告とかしていないよね、と疑う気持ちがなかったわけではないが、私は彼らを信じ、グラスを合わせたのだった。
※下の写真は、デッキでの飲み会の様子と、ぼんやりと見えた川沿いの建造物



ゆらゆらと川の流れに任せるようなスピードで、船は航行した。私は誰か船酔いしたりしないだろうかと心配していたけれど、誰一人として、気分が悪くなるような気配はなかった。
ガビは相変わらず熱弁をふるっていたが、アルコールが入ったことで難しい顔は消え、にこやかになっていた。ニコはガビの隣に座り、見守るような目つきでガビの話に耳を傾けていた。
「ねえ、ボトルが空いたんだけど。次を頼みましょうよ」
女の子の1人がガビを促し、ガビはまた追加で2本注文した。クルーはボトルと一緒に新しいグラスも持ってきてくれた。
「何だかテーブルに乗り切らないなぁ。よし、こうしよう」
クルーがいなくなった直後、ガビはそう言ったかと思うと、使用済グラスを1つ掴み、ためらう様子もなくそのグラスを川へ投げ込んだ。
「ちょっと!」
私は思わず叫んだが、同級生たちはみんな笑い転げ、
「いいぞ、ガビ!」
とはやし立てた。ニコは肩をすくめ、やれやれ、という顔をしていた。
「まだスペースがないなぁ。よし、これも」
ガビはそう言って、また使用済グラスを1つ、船の外へと放り投げた。
「それなら、これもバイバ~イ」
男の子の1人がおどけた表情で、空ボトルを1本、視線も向けずにポイッと川へ投げ入れた。
「おい、ボトルはやめろ。グラスならもらってないで通せるけど、ボトルは注文数なかったら怪しまれるだろ」
ガビは即座に、自分の行為を真似た男の子を鋭い口調でたしなめた。男の子は少しうなだれた表情になり、ガビの忠告にも無言だった。
普段、ガビとニコとのやり取りを見聞きしていても、年上のニコが口を挟めないくらい、ガビは話術に長けているようだった。今日のガビと同級生にしても、同級生は熱弁をふるうガビに相槌を打つのがやっとという感じだった。ガビは彼らにとって、カリスマ的存在なのだろう。
それにしても、自分から悪さをしておいて、自分の行為を真似た人を注意したりするんだな。更に、疑われたときの言い訳まで考えていたとは!
知能犯ガビ。
彼の行為を注意できない自分が情けない……。
やらない、真似ない、見逃さない。
実践するようにしないとダメだよね、と心に留めた出来事だった。
ただ一つ、ニコとガビは仲直りしたようだったので、その点だけは良しとしよう!